半僧坊について
半僧坊の云われ
半僧坊(はんそうぼう)大権現は奥山半僧坊大権現とも呼ばれます。
静岡県にある臨済宗方広寺派大本山 方広寺の開祖である無文元選(むもんげんせん)禅師が中国から帰る途上、東シナ海海上で台風に遭遇しました。
船が難破する危険が生じたとき、大きく揺れる船のなかで、禅師は一心に観音経を読まれました。
すると、袈裟をまとった鼻の高い異人が禅師の前に現れ、「わたしは禅師が正法を伝え弘められるために、無事に故国に送り申します」と叫びながら船頭を指揮始めました。この異人のおかげで禅師は無事に嵐の海を渡り、博多の港に帰ってくることができました。
禅師がこの方広寺に到着した時、この異人が再び無文元選禅師の前に現れ、禅師の弟子となることを願い出たといわれます。
この時の異人の姿を禅師が「半(なか)ば僧にあって僧にあらず(姿が僧のようであって、完全な僧の姿をしていない)」と表したことから、異人は「半僧坊」と名乗るようになりました。
半僧坊は禅師の元で熱心に修行し、薪取りや水汲みなど身の回りにお仕えにも勤しみました。
禅師が亡くなられた後、半僧坊は「わたしはこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」といって姿を消してしまいます。
半僧坊がいなくなってしまった後も方広寺では不思議なことが沢山起こり、これは半僧坊による功徳ではないかと信じられ、
以来、半僧坊はお寺を護る鎮守さまとして祀られ始めたといわれています。
半僧坊と天狗
無文元選禅師を海難から救った伝説や、方広寺が火災にあった際に半僧坊の姿を模した像が消失を逃れたなど、多くの奇跡により、半僧坊権現は「厄難消除、海上安全、火災消除」などのご利益があると全国に広まったといわれています。
僧坊大権現の像を造ろうとしたとき、仏師の夢枕にひとりの翁が現れて「大権現の姿は、(日本の神話に伝わる)鼻の高い猿田彦のようである」と告げたという伝説が残っています。
鎌倉にある建長寺では半僧坊を祀る半僧坊殿の周りに沢山の天狗の像が設置されています。
真寶寺の半僧坊様について
私は、浜松の方廣寺専門道場にて修行しました。
その修業中、朝課後に半僧坊神殿にて、お勤めをするのも一つの日課でした。
その縁にて下山する際、半僧坊様のご分身をお預かりさせて頂き、今日に至ります。
本来の処、大本山方広寺様の様な立派な神殿を設け、お祀りさせて貰うのが良いのかもしれません。現在は本堂内にてお祀りさせて頂いています。
半僧坊様は秘仏扱いの様に、普段は厨子を閉めさせて頂いております。
今の所、厨子を開ける事は予定しておりませんので、開帳の際はお知らせ(当山ホームページ)から掲示させて頂きます。